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仙台地方裁判所 昭和49年(ワ)757号 判決

原告

旧姓清水堤智子

右訴訟代理人弁護士

青木正芳

佐藤正明

増田祥

被告

学校法人聖ドミニコ学院

右代表者理事

武田教子

右訴訟代理人弁護士

三島保

右訴訟復代理人弁護士

三島卓郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し雇傭契約に基づく権利を有することを確認する。

2  被告は原告に対し金一二三五万五一六一円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨

2  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、学校教育法、私立学校法に基づく学校法人であつて、肩書地において聖ドミニコ学院(幼稚園、小、中学校、高等学校及び専攻科)を設置し、経営しているものである。

(二) 原告は、中学校教諭普通一級(理科)及び高等学校教諭普通二級(理科)の各免許を有している者で、昭和四六年三月東北大学理学部化学科を卒業し、同年四月から同大学非水溶液化学研究所に研究生として入所して生化学を研究ののち、昭和四七年四月一日から被告に非常勤講師として採用され(以下、原告と被告との間の雇傭契約を「本件雇傭契約」という。)、毎月二〇日限り、授業担当時間一時間当たりの単価二六〇〇円に原告の担当時間数週二〇時間を乗じた五万二〇〇〇円の賃金の支給を受けていたものである。その後、被告は右単価を昭和四九年度は三二五〇円に、昭和五〇年度は四五〇〇円にそれぞれ改定して全非常勤講師に一律に適用している。

2  被告の意思表示と就労拒否

被告は原告に対し、昭和四八年一二月一七日「念のために言うが三月までで辞めてほしい。」と告げ、更に昭和四九年三月六日に「四八年度の辞令を渡すとき、あと一年限りだと言つたし、そのつもりで他の先生も依頼してあるので、清水先生の四九年度の持ち時間は全然ない。辞令通り三月二〇日までで辞めていただく。」と告げて、同年四月一日以降、原告については雇傭契約が完了したとして就労を拒否し、賃金を支払わない。

よつて、原告は被告に対し、雇傭契約上の権利を有することの確認及び解雇の日の翌日から本件口頭弁論終結の日(昭和六〇年一二月一九日)までの賃金一二三五万五一六一円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

非常勤講師の授業担当時間一時間当たりの単価の改定に関する事実は否認し、その余は認める。なお、被告は原告の就労を昭和四九年三月二一日以降拒否している。

三  抗 弁

1  本件雇傭契約は次に述べる事情から明らかなように一年間という期間の定めのある契約であるから、本件雇傭契約の期限である昭和四九年三月二〇日が到来すれば、当然に被告の非常勤講師たる地位を失うものである。そして、被告は本件雇傭契約を更新せず、傭止めを行つたにすぎないものである。

(一) 入学者増加の対策

被告は、昭和四七年度の高等学校の入学試験に合格し入学の手続を了した生徒の数が被告の予想に反し四二〇名の多数に上つたことから、前年一二月中旬に策定した授業計画の変更を迫られるに至り、また、昭和四七年度の高等学校一年生を収容するためには当初計画していた四教室では足りず、七教室を必要とすることとなり、これを前提として授業計画を立てなければならなくなつた。

(二) 専任教師の辞意表明

昭和四六年度二学期末から出産準備のため入院し出産後、四七年度も引き続き被告において教鞭を執ることを希望し、被告もそれを期待していた数学の専任教師大野滋子(以下「大野」という。)が昭和五七年二月二二日に双子を出産し育児に専念しなければならなくなつたため、昭和四七年三月になつて辞意を表明してきた。しかし、大野は一年も経過すれば育児にも余裕が生じ、教壇に復帰できるであろうから、その際には専任教師として被告に復帰したいとの意向であつたので、被告としてもその復帰に期待した。

(三) 原告採用の経緯

右のような状況の下で、原告は、大野の紹介により被告に就職を希望し、その旨申し出てきたもので、当時被告の理事長兼校長であつた武田教子(以下「武田理事長」という。)は、昭和四七年二月ころ、原告を被告の応接室に招いて話し合つた。その際、原告は「私は大学を卒業させてもらつたが、あとは自活しなければならない。私は一生教師としてやつていきたい。」と言うので、武田理事長は「しかし、学院には既に理科教師は生物、化学、物理ともおられるので、原告に専任教師になつてもらう可能性はない。」と話した。すると、原告は「専任でなくともよい。」と言うので、武田理事長は「しかし、非常勤講師の身分は不安定であり、一年限りの契約であるし、時間数も何時間になるかわからないから、自活していくだけの収入がなかつたらどうするのか。」と問うたところ、原告は「とにかく教師になりたい。生活については塾を開く考えである。」と答えるので、武田理事長は、期間を一年だけと限り原告を非常勤講師に委嘱した。そして、原告に三井シツヱの担当していた中学校理科、菅井久子の担当していた中学校数学及び大野の担当していた高等学校数学の授業の一部を受け継かせた。

(四) 契約更新の経緯

被告の校長は、昭和四七年八月二六日に理事長を兼務している武田教子から村上武子(以下「村上校長」という。)に代わり、同年一〇月ころ、村上校長が昭和四八年度の授業計画の策定に取り掛かつた際、かねて武田前校長から「原告は他に専任教師の口を探しているはずであるし、一年間だけ(昭和四八年三月二〇日まで)非常勤講師を依頼したものである。」という趣旨のことを言われていたので、昭和四八年度の授業計画では当初原告を除外していた。しかし、村上校長は、被告創立間もないころから共に働いてきた三井シツヱから「原告は自活していかなければならないのに、いまだ就職の口もなく気の毒であるから、是非昭和四八年度も働かせてやつてもらいたい。」と再三懇請されたので、武田理事長と相談のうえ、あと一年限り雇傭するということになり、原告には昭和四八年度にクラス数の一番多い高等学校二年生の化学九時間を担当させることとした。しかし、原告はそれだけでは生活ができないからもつと担当時間を欲しいと言つてきた。村上校長は、三井シツヱからの折角の懇請でもあり、あと一年だけでもあるから気持良く働いてもらおうと、色々と都合し相当に無理もして(具体的には、石尾道子専任教師の担当していた高等学校二年生の化学の時間を大幅に減らして原告の担当する化学の時間を一週につき一五時間(以下、一週間当たりの担当時間数のみを示す。)とし、右石尾には従来理科の専任教師三人が分担してきた中学校一年生ないし三年生の理科一二時間全部を受け持たせ、そのため三井シツヱが担当してきた中学校理科の時間がなくなつたので、同人に対してはその代わりに小学校五、六年生の理科を担当してもらい、中学校三年生の数学五時間も原告に割り当てることとした。)昭和四八年度には原告に合計二〇時間を担当してもらうことにした。そして、昭和四八年四月六日、学年初めの幼、小、中、高合同の職員会議ののち、職員室において、村上校長は原告に対し、同年一〇日から昭和四九年三月二〇日まで非常勤講師を委嘱する旨の辞令を交付したうえ、右の期間あと一年だけ非常勤講師として働いてもらうこととするが、この一年の間にどこかよいところを探すようにと特に申し渡した。

(五) 昭和四九年度における被告の教師の配置状況

昭和四九年度には、理科は高等学校三年生の物理七時間以外は理科の専任教師である三井英二、石尾道子及び昭和四九年度から理科の専任教師となることに予定されていた三井シツヱの三名で十分にまかなうことができ、他の非常勤講師の助力を必要としなかつたのみでなく、高等学校三年生の物理を担当してくれる非常勤講師も東北大学工学部卒業で同大学大学院博士課程に在学中の大日方五郎(昭和四九年六月一五日高等学校教員理科の免許状を獲得)にほぼ内定していた(同人は原告と違つて物理を専攻しており、物理を担当してもらうについては、被告としても、より望ましかつた。)。また、数学についても、原告は、中学校教員又は高等学校教員の免許を有していないのみならず、三浦紀美子専任教師がコンピューターの勉強をするために昭和四九年度においては時間的に拘束されない非常勤講師になりたいと村上校長に申し出ていたのに対し、同校長は右三浦が相当の時間を担当してくれることを条件に同年度から非常勤講師になることを承諾していたものであり、昭和四九年に岩手大学教育学部数学科を卒業する見込みであつた佐々木ゆうが昭和四九年度から数学の専任教師として採用されることに内定していたほかに、佐藤勝俊、中村健一(いずれも数学の教師としては原告よりも適任とみられる)にも九時間ないし一二時間数学を担当してもらうことができる事情にあつたため、原告には数学を担当させる必要がなかつたものである。

仮に、本件雇傭契約が期間の定めのない契約だとしても、右に述べたような事情から、原告を昭和四九年三月二一日以降非常勤講師に委嘱しなかつたのであつて、これには合理性があり、これをもつて権利の濫用といえないことはもちろんである。

(二) また、村上校長は原告に対し、昭和四八年一二月一七日及び昭和四九年一月三〇日の二度にわたり、原告の雇傭期間は昭和四九年三月二〇日までで、その後は原告を非常勤講師には委嘱しないと明確に断わつているのであるから、原告に対するかかる意思表示は労働基準法二〇条にいう解雇の予告ということができる。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  抗弁に対する認否

(一) 抗弁1の冒頭は否認する。

(二) 同1(一)、(二)は知らない。

(三) 同1(三)のうち、同1(一)、(二)の状況下であつたこと、武田理事長が期間を一年だけと限り原告を非常勤講師に委嘱したことは否認し、原告の担当することとなつた時間が、三井シツヱの担当していた中学校理科、菅井久子の担当していた中学校数学及び大野の担当していた高等学校の授業の一部を受け継いだものであることは知らない。その余は認める。

原告は武田理事長との面談で雇傭契約の期間については明確な合意をしたものではない。被告が原告を採用したのは、恒常的な教員不足を補うためであつて、入学者の増加や大野の休職とは無関係である。被告への入学者の確定は毎年三月二〇日以降であるか、原告の面接及び採用内定は前記のとおりそれより前である。右入学者増加の対策は、水野谷非常勤講師の採用によつてなされたと考えられる。また、大野の産休の代替としては、佐藤勝俊非常勤講師が採用され、以後継続雇傭されている。

(四) 同1(四)のうち、原告が九時間を担当するだけでは生活できないと申入れたこと、昭和四八年四月六日、職員室において、村上校長が原告に対し、辞令交付にあたり、昭和四九年三月二〇日までのあと一年だけ非常勤講師として働いてもらうが、この一年間にどこかよいところを探すように特に申し渡したことは否認し、その余は知らない。

(五) 同1(五)のうち、昭和四九年度において、原告が理科及び数学を担当する必要がなかつたことは否認し、その余は知らない。

(六) 同2は争う。

2  原告の主張

(一) 本件雇傭契約は期間の定めのない雇傭契約である。その事情は次のとおりである。

(1) 被告においては、非常勤講師の実数(通年全教員数に対して四五パーセント前後を占める。)及び勤務年数(一年でも辞めるものは大学院生などが主であつて、職業として教師の道を選び、勤務した非常勤講師と名が付いていても、必ずしも年度限りというわけではないし、その雇傭の趣旨も期限の限定の実質を有しない実態の下で、非常勤講師として採用された原告は、「期限」が到来しても継続して雇傭されるものと理解していたものである。しかも、被告が原告に対して昭和四七年三月九日発した採用内定通知書には、労働条件として特に重要な雇傭期間についての定めはなかつたものであり、この点からも、原告は、非常勤講師としてではあつても、将来にわたつて被告において勤務を継続できるものと理解していた。

被告が昭和四七年四月七日に同月一日付けで原告に交付した辞令に期間の定めがあつたのは、学校における日々の授業を中心とした教育活動は、年度当初における年間教育計画に従つて行われる関係上、年度途中に担当教員が替わることの非教育性から、これを事前に回避するため、教員による年度途中からの解約の申入れを排除しようとする学校法人として当然の教育行政上の配慮からなされたものであつて、非常勤講師という名の教員に対するその旨の確認的な意味の通知であると解されるものである。そして、このことは、昭和四八年四月に被告から原告に対して同様な辞令が交付されたからといつて、変わるものではない。

(2) 仮に昭和四七年四月一日から非常勤講師になる旨の契約を結ぶに際して、期間満了により雇傭契約が自動的に終了する旨の合意がなされていたとしても、この期間満了後、原告はなお非常勤講師として現実に被告との間で雇傭関係を継続していたものであるから、この場合には期間の定めのない雇傭契約として更新されたものである。

すなわち、民法六二九条一項但書は、同法六一九条一項但書と同様に更新後の雇傭契約については、契約の終了を解約の方法によらしめており、そのことは当該契約を当然期間の定めのない契約とみていることにほかならない。また、被告の就業規則三二条には、「嘱託職員の契約期間は、一か年未満とする。ただし、契約の更新を妨げない。」と規定している。これは、教員と生徒との人間関係が継続する中で、教員活動への意欲が生まれ、生徒に対する効果的な教育が実施されるという教育的配慮から出てきたものと解され、教師として継続的雇傭が当然期待されるものであるから、この規定の趣旨からしても、昭和四八年度以降の雇傭契約関係は期間の定めのないものとなつたというべきである。

(3) 期間の定めの無効

(ア) 労働法的観点

雇傭契約上の期間の定めが有効とされるのは、その期間の定めが社会的に合理性を持つ場合に限られる。たとえば、季節的な繁忙時のみの労働、病休、産休の代替労働、特定の仕事の完成までの労働といつたように、本質的に臨時的、短期的性格を持つ場合がそれに当たる。これに反して、期間の定めが客観的に見て合理性を持たず、労働保護法規、とりわけ解雇制限の法理の適用を免れるために利用されている場合には、労働保護法規及びその下に作られた公序に反するものとして効力を有しないと考えるべきである。

こうした観点から見ると、被告において一年という期間を定めた意図は、原告を初めとする被告における非常勤講師の労働条件の実情(退職金、有給休暇、産休及び福利厚生施設の恩恵がない等)、労働の実態から見て、労働保護法規の適用の除外にあることは明らかである。

したがつて、本件雇傭契約における期間の定めは、当初から効力を有しないというべきである。

(イ) 教育法的観点

教育基本法六条二項は、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならないと明記する。学校教育は、生徒の生存権の文化的側面の保障である「教育を受ける権利」に関する重大な営みである。この営みは、教員と生徒の人間関係の継続の中で徐々にかつ不断に行われ、その営みが最も効果的であるためには、教員が教育活動に意欲を持つて取り組み、安んじて教育活動に専心できることにあるは多言を要しない。教育の身分の保障は、このような教育活動の特性から築き上げられてきたものである。故に、このような身分保障は、当然のこととして非教育的な人事権の行使を否定するもので、教育に対する意欲を失わせたり、教育活動に専心できない状態を作り出し、更に理由もなく教育活動の継続を否定することを許さないものであつて、右のような身分保障に背馳する行為は、憲法、教育基本法に違反した違法、無効なものと考えられるべきである。

しかるに、一年という雇傭期間の定めは、教育の継続性をまさに切断し、教師の身分保障を失わしめ、教育条件の整備を不能ならしめるものである。また、教員の待遇においても臨時性を押し付けることになり、そのことが一層教育の現場における教員の教育活動、子供の学習権を阻害している。すなわち、教科指導の面においても、生徒の全人格がとらえられないため、教育効果が上がらず、極端な場合には授業自体が成立せず、あるいは指導が独善に陥る結果を招いているのである。そして、生徒は、このような臨時的存在を余儀なくされている非常勤講師の立場を敏感に受け取り、専任教師と区別した対応に出る等の状況がある一方、非常勤講師自身、身分の不安定さから落ち着いた教育活動を行う意欲を喪失し、教育の実践に消極的になり、場合によつては無責任になる等の弊害も生じている。更に、臨時的身分の存在は、教員相互の間を分断する結果ともなり、今日教育の現場で強く求められている教員の集団としての統一された教育の実践を阻むものとなつている。

したがつて、臨時工的身分の教員の存在はその社会的合理性が肯定される特殊例外的場合に限られるべきであつて、被告における各年度ごとの生徒数、授業科目の変動その他に応じて、教員の人数を整える目的から設けられた本件雇傭契約におけ期間の定めは、教育法的観点から見ても、違法、無効なものであり、本件雇傭契約は当初から期間の定めのないものとして成立したものというべきである。

またそもそも、学校教育法(公・私学を問わず、公教育のすべてに適用される。)五〇条は、高等学校の教職員の構成について定めているが、本件紛争発生時においては、高等学校の教員構成として講師の存在を認めていなかつた(その後の法改正により、特別事情の存在するときは、これを置くことができるようになつた。)。それ故、本件紛争発生時には、被告としては教員を専任教師のみをもつて構成すべき法制下にあつたものと解すべきであつて、教員を非常勤講師で処理していたことは違法であり、採用された教員は専任教師として扱われなければならなかつたものである。したがつて、この点からも、本件雇傭契約は期間の定めのないものとして成立したものということができる。

五  再抗弁

1  右主張のとおり本件雇傭契約は、当初から又は少なくとも昭和四八年度以降は期間の定めのない契約であるから、前記昭和四九年三月六日の被告の意思表示は、被告が同年四月一日以降の原告の就労を拒否していることも考え併せれば、解雇の意思表示(以下「本件解雇」という。)にほかならない。しかし、本件解雇は、以下に述べるとおり合理的理由を欠いた解雇権の濫用、解雇手続違反として無効である。

(一) 解雇権濫用

(1) 本件解雇に至る経緯

原告は、昭和四七年四月以降、教員として教育活動を専任教師と同等(少なくとも持ち時間においては専任教師と変わらなかつた。)、あるいはそれ以上に継続して実践してきたものであるが、原告に対し、昭和四八年一二月一七日、突然被告の村上校長が「念のために言うが、三月までで辞めてほしい。その理由は、校風に合わない、実験の後始末が悪い。」等を告げ、更に同月二〇日校長は「学校や生徒への愛着は片思いだ。そのようになぜかなぜかと突つ込んで聞く人はこの学校に合わない。女性としての全体的・人格的なものが合わない。」と述べた。

昭和四九月一月三〇日、被告は原告に対し「あと一年限りと昨年言つておいたので、辞めてもらう予定で他の人に授業を依頼してある。清水先生(原告)の持ち時間も教科もない。」と告げた。

同年二月一九日宮城県私立学校教職員組合連合から被告に対し団体交渉が申し入れられたが、翌三月六日第一回の交渉の席上でも、被告は「四八年度の辞令を渡すときにあと一年限りだと言つたし、そのつもりで他の先生を依頼してあるので、清水先生の四九年度の持ち時間は全然ない。辞令どおり三月二〇日までで辞めていただく。」と繰り返し、継続雇傭については一考すると述べた。しかし、同月一六日の第二回目の交渉では「一年前の約束なのだから辞令に従つていただきたい。」との態度を示してきた同月一九日に三回目の交渉が持たれたが、被告は同様の回答を繰り返し、これ以上話し合う余地はないと告げて同月二一日以降原告が登校する度にその就労を拒否し続けてきた。

(2) 被告は、原告との雇傭契約を拒否してきた理由として、当初「校風に合わない。」「女性として全体的全人格的なものが合わない。」等と述べていたが、これは原告の教員としての資質とは無関係であり、何ら客観的合理性はない。また、昭和四九年度においても、被告の生徒数に特別の変動はなく、教員が必要な事情は解消されておらず、原告を解雇することは、既に述べた教員の身分保障の観点からしても、教育行政上の配慮を欠くものといわなければならない。

(二) 手続的瑕疵

本件解雇において被告は解雇の予告も予告手当の支給も一切行つていない。したがつて、本件解雇は労働基準法二〇条一項本文に違反し無効である。

2  解雇法理の類推適用

本件雇傭契約が期限の定めのある契約であるとしても、前記原告採用時の状況及びその後の原告の勤務状況、被告における非常勤講師雇傭の実態、就業規則三二条但書等により、被告は原告に対して雇傭契約期間満了後も雇傭を継続すべきものとの期待を抱かせていたものである。

更に、前記のとおり労働法、教育法のいずれの観点から考えても、原告は、専任教師として採用されなければならなかつたものである。それ故、非常勤講師として採用されたのであつても、本人が労働契約の更新を希望しないような特別の事情がある場合を除き、契約が更新されると解すべきであり(すなわち、被告就業規則三二条但書の適用が原則となる。)、現に、被告において恒常的に存在する非常勤講師については、特別の事情がない限り、雇傭契約が更新されてきたものである。そして、原・被告間には、契約を更新しないとの積極的合意はなかつたものであるから、本件雇傭契約は更新され続けているものというべきである。

したがつて、更新拒絶については、右のような特別事情がない限り、解雇の法理によるべきであつて、前記のとおり本件傭止めは合理的な理由がなく、権利の濫用であり、しかも解雇予告手続にも違反しており、無効といわなければならない。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の冒頭は否認する。

2  同1(一)(1)のうち、昭和四九年一月三〇日が原告に対し原告の主張する趣旨のことを告げたこと、同年二月一九日宮城県私立学校教職員組合連合から被告に対し団体交渉が申し入れられたこと、第一回の団体交渉の席上、被告が原告の主張する趣旨のことを繰り返したこと、同年三月二一日以降被告が原告の登校の度にその就労を拒否し続けてきたことは認め、その余は否認する。

3  同1(一)(2)は否認ないし争う。

4  同1(二)のうち、被告が予告手当の支給を行つていないことは認め、その余は争う。

解雇予告については、抗弁2(二)のとおりである。

5  同2は争う。

被告は、原告に雇傭契約期間満了後も雇傭を継続すべきものとの期待を抱かせる言動はとつていないし、原告を昭和四九年三月二一日以降非常勤講師に委嘱しないことには、抗弁1(一)ないし(五)のとおり合理性がある。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因のうち、非常勤講師の授業担当時間一時間当たりの単価の改定に関する事実は、〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その余は当事者間に争いがない。

二抗弁1(期間の定め)について

1  原告の採用時に関する次の事実は当事者間に争いがない。

原告は、大野の紹介により被告に就職を希望し、その旨申し出てきていたので、当時被告の理事長兼校長であつた武田教子は、昭和四七年二月ころ、原告を被告の応接室に招いて話し合いをした。その際、原告は「私は大学を卒業させてもらつたが、あとは自活しなければならない。私は一生教師としてやつていきたい。」と言うので、武田理事長は「しかし、学院には既に理科教師は生物、化学、物理ともおられるので、原告に専任教師になつてもらう可能性はない。」と話した。すると、原告は「専任でなくともよい。」と言うので、武田理事長は「しかし、非常勤講師の身分は不安定であり、一年限りの契約であるし、時間数も何時間になるかわからないから、自活していくだけの収入がなかつたらどうするのか。」と問うたところ、原告は「とにかく教師になりたい。生活については塾を開く考えである。」と答えた。

2  右一、二1の争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  被告における非常勤講師の取扱い

(1) 原告が勤務していた昭和四七年度から四八年度にかけての被告の教員は、専任職員である専任教師と嘱託職員である非常勤講師とに区分されていた。非常勤講師の採用の目的は具体的な事情によつて異なるが、基本的には被告における各年度ごとの生徒数、授業科目の変動等に臨機応変に対処するため採用されていた。そして、非常勤講師には、毎年六名前後の入れ替わりがあり、昭和四七年度から昭和四九年度にかけては常に二〇名前後の人数で、全教員に対して占める割合も四〇パーセント前後に達していた(ただし、右数字はいずれも原告が関係した被告の中学校と高等学校についてのものである。)。

(2) 非常勤講師には、専任教師と異なり就業規則における試用期間、休職、年次有給休暇、退職手当等の諸規定の適用はない。また、その給与については担当する時間数に応じた時間給の制度が採用されていて、一般に専任教師の給与と比較して割安で手当等の支給もない。

(3) 非常勤講師は、契約した授業を担当するだけであり、クラスの担任として生徒の指導にあたつたり、進路指導、生活指導、クラブ顧問(ただし、美術は専任教師がいなかつたため非常勤講師が担当していた。)、生徒会の活動に参加する等の校務を分掌したり、職員会議に出席したりすることはなく、就業時間の拘束も存在していなかつた。

(4) 専任教師の場合には雇傭期間の定めがない。これに対して、非常勤講師の場合には被告の就業規則三二条において「契約期間は、一か年未満とする。ただし、契約の更新を妨げない。」旨規定されている(なお、被告における非常勤講師の契約期間の更新に関する規定はこれだけである。)。そして、非常勤講師のうち、昭和四八年度現在、九年以上更新を重ねた者が三名、同じく六年以上の者が三名存在していた。しかし、これらの者は他の学校を定年退職した者や被告の専任教師であつた者で、被告としては専任教師として採用したいものの家庭の事情等から時間的拘束を嫌い非常勤講師を希望している者、担当時間等の関係からは非常勤講師で十分であるが、カトリック司祭等人材を得難いために被告として是非とも毎年確保しておきたい者等いずれも特殊な場合である。非常勤講師は右のような場合以外は大学院生を中心として多くの場合は一年又は二年で退職している。

(5) 被告においては、専任教師を採用する場合、常勤の専任教師として一年間試用する慣行であり、非常勤講師としては採用していない。のみならず、非常勤講師から専任教師になつた例はまれにあるものの、専任教師を必要とする場合に非常勤講師の中から優先的に採用したり、一定期間継続して勤務した非常勤講師について自動的に又は一定の試験等によつて専任教師に昇格させる取扱いも全く存在していなかつた。

(二)  原告採用の経緯

(1) 原告は、大学院に進学しようとしたが不合格となり、昭和四六年三月東北大学を卒業し、研究生として親からの仕送りと家庭教師等のアルバイトで生活していた。そして、昭和四六年度に受験した教員採用試験(宮城、山形、神奈川、千葉の各県の中学校や高等学校)はいずれも不合格となり、昭和四七年二月中旬、就職先を必死で探していたところ、友人の猪股つや子の紹介で被告の数学の専任教師大野を知り、同人に被告の理科の主任であつた三井英二宛の紹介状を書いてもらつた。右紹介を右三井が当時被告の理事長兼校長であつた武田教子に取り次ぎ、武田理事長は原告を被告の応接室に招いて原告と面接することになつた。

(2) ところで、当時被告では高等学校の入学試験を終えて間もないころであり、当年度の受験者が非常に多数であつたこと、前年度は合格者の多くが公立高等学校に流出する等して実際の入学者が少なかつたので当年度はそれを見越して、多めに合格させる方針で臨んだことから、合格者数自体が多かつた。更に、合格発表後所定の日までに合格者が納めるべき金員(入学料の半額であり、これを納めることで入学が確保される。これは、入学希望者数を判断する資料となるものである。なお、公立高等学校の合格発表後に入学料全額の納付期限が到来する。)の納入率が例年に比べて高く、被告高等学校の制服の注文が異常に多いうえ、当年度は第二次入学試験を行う旨既に公表していたのでこれによる入学者も考え併せなければならなかつた。その結果、武田理事長は高等学校の新入生が例年よりも増え、クラス数も増加するかもしれないと予測し、原告の免許科目である理科については現在の専任である三井英二、石尾道子の二名と家庭の事情で非常勤講師になつている三井シツヱの三名で当面の授業はほぼ担当しうるが、賄い切れない授業もあるだろうと考え、新たに理科の専任教師を採用する必要はないが非常勤講師を依頼する余裕はあるだろうという心積もりで右面接に臨んだ。

(3) そして、右面接の際、原告は「私は大学は出してもらいましたが、あとは自活しなくてはなりません。私は一生教師としてやつていきたいのです。」と言うので、武田理事長は「しかし、学院には既に理科教師は生物、化学、物理ともおられるので、原告に専任教師になつてもらう可能性はありません。」と話した。すると、原告は「専任でなくてもよいです。」と言うので、武田理事長は「しかし、非常勤講師の身分は不安定ですよ。一年限りの契約であるし、時間数も何時間になるかわからないから、自活していくだけの収入がなかつたらどうなさいますか。」と問うたところ、原告は「とにかく教師になりたいのです。生活については塾を開くことも考えています。」と答えた。そこで、武田理事長は原告に対し、「あるいは一〇時間程度かそれ以上の授業を依頼するかもしれない。」と告げて面接を終えた。

(4) その後、当初は出産しても専任教師を続けると言つていた大野が、双子を出産したことを理由に一年間専任教師を辞退する旨被告に対し申し入れてきたことから、原告に数学も担当させることとし、同年三月九日ころ、武田理事長は原告に対し、採用内定通知書とともに中学校の理科六時間、中学校又は高等学校の数学八ないし一三時間程度を担当してもらう予定である旨の通知をした。しかし、同月二〇日ころの公立高等学校の合格発表、被告の第二次試験の合格発表を経て、当年度の被告高等学校の新入生が当初予想もしていなかつた四二二名の多数に及び、クラス数も前年度の五クラスに対して七クラスと増加することが判明した。そこで、被告は原告に対し、最終的には中学校の理科四時間、中学校及び高等学校の数学一七時間の計二一時間を担当させることに決定した。

(5) 右のような経過で被告は原告の採用を決め、同年四月六日、幼、小、中、高合同の職員会議終了後、職員室において、武田理事長は原告に対し、「昭和四七年四月一日より昭和四八年三月二〇日まで、本学院非常勤講師を委嘱します。」との記載がある辞令を交付し、その際、被告の就業規則を示しながらその内容を説明し、非常勤講師と専任教師の勤務内容のほか、非常勤講師の契約期間が就業規則上一年未満であること等にも触れた。

(三)  本件雇傭契約更新の経緯

(1) 昭和四七年八月二六日に被告の校長に就任した村上武子は、同年九月ころ、次年度の授業計画を考えていたところ、武田理事長(前校長)から、原告は一年限りであるということで依頼してある旨念を押された。このように武田理事長がわざわざ原告のことに触れたのは、被告には原告を専任教師とする余地がなかつたにもかかわらず、原告が一生教師として過ごしたいとの希望を持つていたことから、採用時には非常勤講師でもよいと原告が述べていたものの、原告を非常勤講師のまま被告に置くよりも、むしろその希望に即した就職先を他に求めさせた方が本人のためであると考えていたからであつた。そこで、右のように念を押された村上校長は、同年一〇月ころ、翌年度の授業計画を作成した際、原告をその計画から除いていた。

(2) しかし、同年一一月下旬ころ、原告が、大学の先輩で原告と同様理科を担当していた非常勤講師三井シツヱに対し、自分は将来も自活していかなければならないのに、来年の講師を断わられたらどうしようか、他に就職のあてもない、と相談したことから、三井シツヱが村上校長にその旨伝えて是非来年度も原告を非常勤講師として働かせてほしいと懇請した。村上校長はこれに同情し、原告は同年度一年だけで断わるつもりであつたがなんとか考慮してみようと三井シツヱに対して返答し、武田理事長に相談した。武田理事長は当初難色を示したが、村上校長の強い要望により昭和四八年度も原告を雇傭することとなつた。

(3) 村上校長は、昭和四八年度の授業計画に原告を入れることになつたので計画を立て直し、他の教員について一旦決定していた授業の担当についての計画を原告のために非常勤講師でも生活することができるように配慮しつつ大幅に変更してやりくりをし、結局原告には高等学校二年生の化学一五時間と中学校の数学五時間の計二〇時間を担当させることとした。

(4) そして、村上校長は原告に対し、昭和四八年二月ころ、被告職員室において、昭和四八年度も原告を非常勤講師として雇傭する旨伝え、その際他に就職先を探してはどうかと付け加えて言つた。その後同年四月六日、同所において、「昭和四八年四月一〇日より昭和四九年三月二〇日まで、本学院非常勤講師を委嘱します。」との記載がある辞令を交付した。

(5) なお、原告は、専任教師になろうとして、被告で非常勤講師をしていた昭和四七年度の宮城県(高等学校)、山形県(中学校)の教員採用試験を受験したもののいずれも不合格となつた。また、昭和四八年二月ころ、優先して専任教師となれる宮城学院高等学校の講師(化学)にも応募したが採用されなかつた。

(四)  雇傭契約更新後の事情

被告は本件雇傭契約を再度更新するつもりは当初からなかつたので、昭和四八年九月ころ三井英二に示した昭和四九年度の年間教育計画からも原告を除外していた。そして、辞令に示した雇傭期間の終了まで約三箇月となつた昭和四八年一二月一七日に原告は村上校長から「念のために申し上げますけれども、三月までで終わりですからね。」と言われた。原告は「私は一年とは聞いていませんでした。私は一年経つたら専任になれると思つていました。」と答えたが、「一年前からのお約束ですから。」と言われた。その後も原告は三井英二らに相談又は就職の斡旋を求める一方で、被告との交渉を重ね、雇傭の継続を求めた。しかし、話い合いは平行線のまま、原告は、被告から本件雇傭契約は一年限りの雇傭契約であり、その旨を年度当初に伝えてあるとの理由で本件雇傭契約の更新継続を断わられ、辞令に記載された期間満了日の翌日である昭和四九年三月二一日以降就労を拒絶され、賃金の支払を受けていない。

3(一)  契約当初における期間の定めの有無

右認定事実からすれば、原告の採用面接当時、被告は理科の専任教師を必要と考えておらず、非常勤講師であれば高等学校入学者の増加が予想されるという事情から採用してもよいと考えていたところ、原告は他に就職のめどが立たず藁にもすがる思いで、非常勤講師として採用されることを十分に了解して本件雇傭契約の締結を申し出たものであることは明らかである。原告は、武田理事長との面談で雇傭契約の期間については明確な合意をしたものではなく、被告の非常勤講師の実態、採用内定通知書に期間の定めの記載がないこと等から本件雇傭契約には期間の定めがないものと理解していた旨を主張し、これに沿うかのような供述をしている。しかし、前記認定のようなやりとりの中で原告は非常勤講師として採用されたものであるから、非常勤講師という職種が一年の期間の定めをつけられたものであることは当然に理解できたはずであるし、交付された辞令にも期間が明示されていて、この点についての説明も受けていたものである。しかも、原告は、被告に採用された昭和四七年度に専任教師になるべく他に求職活動もしていたのである。したがつて、前掲甲第一号証によれば、採用内定通知書には期間の定めの記載がなかつたことは認められるが、原告の右供述は採用することができず、本件雇傭契約は一年(正確には辞令に記載されているとおり昭和四七年四月一日から昭和四八年三月二〇日まで)の期間の定めのある契約であつたことが認められる。

(二)  雇傭契約更新後における期間の定めの有無

次に、原告は当初本件雇傭契約に期間の定めがあつたとしても、期間満了後も原告を雇傭していたことから本件雇傭契約は期間の定めのない契約として更新されたものである旨主張する。

なるほど昭和四八年度も被告は原告を雇傭していることは前記認定のとおりである。しかし、本件雇傭契約更新時の事情は前記認定のとおりであつて、被告が何ら異議を述べないで原告を継続して雇傭したものではなく、むしろ採用時に原告が専任教師を希望していたことから、被告としては本人のためを考えて次年度の授業計画から原告をはずしていたところ、原告から雇傭の継続を懇請されたため、なんとかやりくりをして授業計画を改定し四八年度も非常勤講師として継続して雇傭することにしたもので、原告に対しては、他に専任教師の就職口を探すことを示唆し、期間を明示した辞令を交付していたものである。そして、被告就業規則には更新に関しその三二条において「ただし、契約の更新を妨げない。」と規定しているにすぎないのであつて、被告における非常勤講師の取扱いとして、更新すれば当然に期間の定めのない契約となることもなかつたことは前記認定のとおりである。

したがつて、本件雇傭契約が期間の定めのない契約として更新されたとは到底いえず、更新後も一年(正確には辞令に記載されているとおり昭和四八年四月一〇日から昭和四九年三月二〇日まで)の期間の定めがあつたものと認められる。

(三)  期間の定めの有効性

更に、原告は労働法及び教育法の観点から期間の定めの無効であることを主張する。

確かに、期間の定めに何ら社会的な合理性がなく、その定めが単に解雇の制限を初めとする労働保護法規を潜脱する意図のみに基づくものである場合には、期間の定め自体を無効とすべきか否かを検討する余地があるというべきである。また、原告主張のとおり教員の身分は保障されるべきである(教育基本法六条二項)し、これは、教諭又は助教諭に準じる職務に従事する非常勤講師の場合であつても基本的には同様であると解される。そして、常時勤務に服さず雇傭期間の定めがある非常勤講師の制度には、様々な教育上の弊害を生む一要素となる可能性があり、教育的配慮からはすべての教員を常時勤務に服し継続的雇傭を前提とする専任教師にするということが望ましいことは、証人橋本昌純、同佐藤哲朗の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)によつてこれを認めることができる。

しかし、そもそも教員であつてもその雇傭期間を定めることを禁止する法令は存在せず(なお、原告の採用時、雇傭契約更新時において、教育基本法には常時勤務する必要のない講師すなわち非常勤講師について規定していなかつたことは原告主張のとおりであるが、だからといつて右のような講師を法令上禁止していたということはできない。また、講師と教諭・助教諭の区別が雇傭契約の期間の定めの有無と論理的に結び付くわけではないし、前記のとおり講師についても基本的には身分保障があると考える限り、講師を置くことができるか否かは、その雇傭契約の期間の定めの有効性に影響を及ばさないといわなければならない。)、〈証拠〉によれば、一部専門の分野においては非常勤講師によつてした方がかえつて教育の成果をあげることができる場合もあること、特に、私立学校の場合には、年度毎に入学者又は在学者の人数に大幅な増減が生じやすく、国による補助金や生徒の保護者による負担にも限度があるところから、学校経営の安定を図りつつできる限り良好な教育環境を維持していくためには、非常勤講師の一時的雇傭がどうしても必要とされていることと、これにより教科内容の変動等にも適切に対処ができることとなつていることが認められるのであつて、これらを考え併せると、右に述べたような教育上の問題はあるにしても、期間の定めのある非常勤講師の採用自体は社会的に容認できるものであつて、詰まる所、非常勤講師をどれだけ採用するかは、個別的事情により各学校の合理的な裁量に委ねられているものとしなければならない。

したがつて、このような期間の定めが当然に無効となるということはできない。そして、本件においては、前記認定のとおり、被告は非常勤講師を右のような趣旨のもとに採用していたものであり、実際、原告は入学者の多数及び大野の休職の対策として一時的に採用されたものであるし、その雇傭契約の更新はむしろ原告の事情を汲んで行われたものであつて、期間を定めたことが、ことさらに労働保護法規の適用を免れようとしたり、あるいは教員の身分を不安定ならしめ教育の継続性を分断しようという意図のもとになされたものでないことは明白である。また、被告は原告を採用したときにおいても、非常勤講師を無理に押し付けたわけではなく、逆に原告において非常勤講師でもよいとして敢えて望んで採用されたものであることは前記認定のとおりである。したがつて、被告が本件において非常勤講師として原告を採用したことが合理的な裁量の範囲を逸脱しているものとは解し難いし、雇傭契約の期間を定めたことが強行法規又は公序良俗に反して無効であるということもできない。

結局、本件雇傭契約には前記のとおりの期間の定めが有効に存在していたものというべきである。

三1  再抗弁1(解雇権濫用・解雇手続違反)は、本件雇傭契約が期間の定めのない契約であることを前提とするものであるから、その余の点を判断するまでもなく失当である。

2  再抗弁2(解雇法理の類推適用)について

原告は、仮に本件雇傭契約が期間の定めのある契約であるとしても、雇傭継続の期待の存在、労働法・教育法の観点、契約不更新の合意の不存在等を理由に、更新拒絶に解雇の法理が類推適用されるべきであり、その結果被告の更新拒絶は権利濫用であると主張する。

そこで右主張について検討するに、労働法・教育法の観点からみた教員の雇傭契約における期間の定めの有効性については前述したとおりであり、原告は専任教師として採用されなければならなかつたものということはできないし、本件雇傭契約における期間の定めは有効であつて、単純に右の観点から契約の更新が原則となるとの法理を導きえないことは明らかである。そして、前記認定のとおり被告の就業規則には当然更新を前提とする規定が全く存在せず、またそのような事実上の取扱いもない以上、原告の右主張をそのまま採用することはできない。しかし、期間の定めのある雇傭契約であつても、期間の満了毎に当然更新され、あたかも期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態にある場合には、期間満了を理由とする傭止めの意思表示は実質において解雇の意思表示にあたり、その実質に鑑み、その効力の判断にあたつては、解雇に関する法理を類推適用すべきであるし、また、労働者が右契約の更新、継続を当然のこととして期待、信頼してきたという相互関係のもとに労働契約関係が存続、維持されてきた場合には、更新拒絶を正当とすべき特段の事情がない限り、期間満了を理由とする傭止めをすることは、信義則上からも許されないものというべきである。

これを本件について見るに、原告自身の更新は一回だけであり、被告における非常勤講師の契約更新の状況が一部の特殊事情のある場合を除いて当然更新といつたものではなかつたし、雇傭期間の定めのない専任教師とそうでない非常勤講師との仕事の種類・内容には大きな差異(質的に異なる。)があり、非常勤講師から専任教師への登用の慣行・制度もなかつたことは前記認定のとおりである。また、原告の採用時から傭止めされるまでの間、被告が原告に本件雇傭契約の更新を期待させる言動をとつたことを認めるに足りる証拠はなく、むしろ、昭和四八年の更新の際に、他の職場を探すようにと申し渡していたことは前記認定のとおりであつて、以上の事実に照らせば、本件雇傭契約が期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態のものであつたとは到底いえないし、原告が非常勤講師としてであつても契約の更新を期待しうる客観的状況にもなかつたことは明白である。原告が勤務を継続する中で、契約の更新を期待したとしても、その期待は希望的観測の域を出ないといわざるをえないものである。

したがつて、本件雇傭契約において、被告が原告に対し傭止めの意思表示をしても、解雇に関する法理を類推適用したり信義則を働かせたりする余地はないので、再抗弁2も理由がない。

四結 論

以上のとおりであるから、本件雇傭契約は、昭和四九年三月二〇日の期間満了により当然に終了したものというべきであつて、傭止めの意思表示の理由を問題にするまでもないし、解雇予告についても判断の限りではない。よつて、その余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官光前幸一 裁判官大門 匡 裁判長裁判官武田平次郎は職務代行を免ぜられたため署名捺印することができない。裁判官光前幸一)

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